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Nana-Blog

ダークファンタジー

ダークファンタジーというジャンルに憧れているナナブルクですこんにちは。

以前の記事で、私はキャラを殺せないという話をしたけど、きっとダークファンタジーに憧れるのはそのせいなんだろうなと思う。

すごく悲惨なエピソードを見ると、可哀想!って思うんだけど、仮に自分がその展開を考えたとしたら、なんで救ってやれなかったの?あなた作者でしょ?っていう疑問がつきまとう。

今こうして書いてて気づいたけど、ダークファンタジーにおける悲惨な展開というのは、悲惨なエピソードを見せることで、世界観を構築していることなんだろう。この世はそういう世界なんですよっていうのを、悲惨な小話を通じて伝えようとしている。それなら納得がいく。

そんな当たり前のことにも気づかなかったなんてね。いやはや、固定概念っていうのは恐ろしいね。

記事を書いてて気づいたもんだから、書くことがなくなってしまったので、もう一つ別のダークファンタジーのおはなし。

これまた以前、といっても4年前の記事だけど、その続きです。

『実は人間でした』が悪いわけではなくて、大事なのはそこに持っていくまでの展開次第なんだろうけど、それでも何か『実は人間でした』に代わる別の設定はないだろうかと模索を続けた結果、ひとつの光明が見えてきました。

この『人間絡み』の真実が発覚したとき特有の嫌悪感というか、気持ち悪さを表現するにあたって、そこに必要なのは得体の知れない恐怖ではないかと思った。人は想像の外からくるものに驚き、ゾッとする。また、あるはずのない事象が起きた時、戸惑い恐れてしまうのではないかと。

そんなこと想像してなかったのに!と思わせて、思考が追いついていない状態でその先を想像せざるを得ないという展開だ。

実は忍屋でもそんな演出をしていることに気づいた(気づきにくいけど)。ダークファンタジー苦手と言ったけど、世界観的になるべくしてなったから実装されていたのだ。自然すぎて今の今まで気が付かなかった。

演出だけ見せてその後の展開を想像させる。それが自然と恐怖につながる。ちょっとベクトルは違うかもしれないが、ダークファンタジーではおなじみの手法だろうし、実は人間でしたに引けを取らない器があると思う。

例題をあげるとすれば、地獄先生ぬ~べ~の何かの話で、ラグビーの選手とラグビーボールが高次元に連れ去られて、その後ボールだけが見つかったが、そのボールが裏表逆になって発見され血が付着していたという話。ボールが裏返しになっているということは選手は・・・という想像の余地を持たせることでの恐怖。

イナナキアをどんな話にするのかまだ決まってないけど、ダークファンタジー路線で攻めてみても面白いかもしれないなあ。前述した忍屋の演出のように、知らぬ間に実装されていたことはあっても、いざダークファンタジー書くぞ!って書いたことはないので、ちょっと楽しみではあります。

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