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Nana-Blog

利害と人脈

Twitterにこんなものが流れてきた。その昔、私がまだ全盛期であれこれ活動していたときに
人脈という言葉を使ってイベントを開催してたなあと思い返して
記事にしてみることにした。

たしかに、ここに書いてあるとおり、本来人脈というのは
それそのものを見せびらかして歩くようなものではない。
自分が生きてきた過程で、気がつけば自然と付いてきたものだろうか。
ステータスのように振りかざすのは的外れもいいところだろう。

今にして思えば、私が当時やっていたのは
人脈づくりのきっかけになるかもしれない導入部分であって
人脈づくりそのものではなかったんだろうなと思う。

そして「利害」もまた、この誤った人脈を広めることに一役買っていそうだ。

あの人とお近づきになれば、自分にこんなメリットがあるぞとか
そんな風に人と付き合って、まともな人間関係が築けるわけがない。
気付けるわけがないが、得てして人間社会、ましてや組織にいたっては
そんなものが当然のように蔓延っているのもまた事実だろう。

だからこそ、本当に人脈と呼べる山々に連なっている人たちは
まさに親友と呼べるような間柄なのではないかと思うのだ。

私にとって、私の人脈にいる人は誰であっただろうか。

誤解をおそれずという言葉は保険をかけている感満載で
あまり好きではないけれど、おそれずあげるなら
これまでニコ生で出会ってきた人たちは、皆、結果として
利害を気にしてしまった関係ではないだろうか。

上の言葉を借りるなら、なんの利害もなく、会ったら
心から笑えていたのに、気づけば彼らとの損得勘定を測るようになり
利害を気にするような立ち回りをするようになったなんてこともある。
根本にある人間の醜さって消えないものだなあと思いつつも
そんな自分が心底嫌になったので、最近はそんな自分を戒めるべく
色んな行動でお茶を濁しているけども、濁したところで浄化されるわけではない。

TRPGで、もやしさんを筆頭にいろんな人と出会えて
有名な人たちとお近づきに慣れたぞ!と小躍りしていたのは事実だし
あれから数年が経ち、損得勘定が抜けたと言えば嘘になる。
ゲームの制作談義をしているのが素直に嬉しい自分もいれば
ふいに邪なことを考えてしまう自分が顔を覗かせてしまうのも事実だろう。

そんな状況から察するに、その人と自分が
対等な関係であるかどうかが関係あるのかとも考えたが
たぶんそれも正しくは関係ない。

その証拠に蝉の存在がある。
植物ほるもん擬人化を一緒に作ってきた高校時代からの友人だ。

考えたこともなかったが、私の人脈ラインにいてくれそうなのは
唯一、彼くらいだろうか。

蝉のスペック具合からみても、私の低スペは不釣り合いもいいところだが
会えば笑えるし文句もいえるし遠慮はほぼないし、とことん討論もできる。
そして何より、蝉との間には損得勘定がない。

そういう意味でも、そういう人間がひとりでもいたことは
ありがたいことかもしれない。

そんなわけで人脈とは、きっと親友のことを指す言葉なのかもしれないね。
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