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Nana-Blog

道端に倒れた子猫

出勤中、とある交差点に差し掛かると、そばで何かが横たわっているのを目撃した。

あまり凝視はしなかったので断定はできないけど、きっとあれは子猫だったように思う。狭いくせに交通量の多い交差点で、きっと車にひかれたのだろう。向かいで待っている女性も遠巻きにみて理解したようで顔をしかめていた。

私はネコが大好きで、いつかは飼いたいと思っていたくらい好きだったけど、その現状を目の当たりにして何もすることができなかった。交差点で待っている間、そちらを見ることもできずただ心のなかで成仏してくれることを唱えるだけだった。

交差点をあとにしてからの通勤中、ずっと考えていた。どうすればよかったのか。何が最善だったのか。何が正解だったのか。

もしアニメなんかで心身ともにイケメンなやつがいたら、きっと通勤中だろうが子猫を拾い上げどこかに埋めに行ったことだろう。それを見た人はきっとなんて優しい人なんだと思うのだ。このあたりにはアスファルトだらけで埋める場所なんてないけど、それでもイケメンなら探し当てるはずだ。車を出してまで遠出してどこかへ埋めに行くのかもしれない。

その行為は、結果ただの自己満足のようにも思えるが、実際、そこまで親身になって接したなら、成仏するかしないかで言えば前者の方である気がする。目に見えない魂的ものに対して、そう思ってしまう。

では仮に、倒れていたのがネズミだったらどうだろう。

もし、それがカメだったら、毛虫だったら、ムカデだったら・・・そう考えを巡らせていると、途端にわからなくなってきた。害虫だからどうとか、そういう安易な区切りで事を考えていいのだろうか。さすがのイケメンも潰れたムカデを拾い上げて埋めに行くのはハードルが高い気がする。仮にそれをヒロインが見た日にはドン引きされかねない。それに共感しようものならそれをみた読者がひきかねない。何を伝えたいのかがいまいちわからなくなるからだろう。

それでもまだモヤモヤするので、ずっと考え続けた結果、これは道徳心というものがすべてなのではないかという結論にいたった。

正解とはなんだったのか。きっとそれは、人が、人として生きている上での道徳心に基づいた行動に他ならないのだろう。

我々日本人が、日本という国の法律に則って生きなければならないのと同じで、人が人として行きていく上で則るべきはその心根に宿った道徳心なんだろう。

だから人は自分に備わった感情をもとに考え行動するし、その道徳心に反していれば後悔し、反していなければ善行を積んだと思えるのだろう。

もし、あのとき、私一人ではなくて嫁さんと一緒だったらどういう行動をとっていただろうか。自分のことだけど、正直なところわからない。車で走行中に見かけたら見て見ぬふりをするだろう。それを話題に出しても暗くなるだけだし、道路で停めて拾って埋めにいくわけにもいかないから。しかし二人が徒歩で遭遇すれば、どうだったろう。一人では踏み切れなかった行動にでるかもしれない。でないかもしれない。

仮に見ず知らずのおばちゃんが、あの子を埋めたいから手伝ってくれる?と声をかけてきたら、私は快く受け入れ一緒に埋めにいくだろう。そう考えると、人の心は一人では動かせなくても、あと一歩他者に押してもらえるだけで、本来従いたかった道徳心に従った行動ができるのかもしれない。

今回の話は、きっと他のいろんなことに通じる話だ。

私一人の心根が、あまりに弱すぎることもわかった。

みなさんは、道端に倒れている子猫を見かけたら、どうしますか?
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