天気:晴れ
放送中、絵が進まないことの理由を考えてみた。
大方、昨日言った通りではあるが、結局のところ
「人に見られていると恥ずかしい!」
っていう一点に尽きるのかもしれない。
「見られている」と思うことと、「コメントを読まなくちゃ」と思うことが
同時に脳内へ入ってきて、それと同時に「筆も動かさないと!」と
考えてしまうがゆえに、普段なら最短の道でこなせる線一本を
あとで消すこと確定な線としてダラダラ描いてしまうことも少なくない。
では「生放送内でお絵かき枠をとる利点」とはなんぞ
という話になるわけだが、実は皆無でみんなただのドM…とかではなく
ちゃんと、それなりにメリットがあるからやってるんだろう。
俺の場合だと、コミュを増やして結果知名度をあげるため。
というのが強い。
あとは単純に、みんなと話していると楽しいとか
モチベをあげるために放送を利用するとか、そんなところだ。
喋りつつお絵かきを進められれば、省エネで素晴らしいのだが
俺の抱く理想形には程遠い。
ここで気をつけなければならない点が
「絵を描きながら喋れてる」という人の基準。
俺の中では、棒読みを用いて、耳に入ったことに対して
一言返事を繰り返す程度では、その部類に入らないと感じている。
むしろその程度でいいのであれば、200コメ中150コメはひろって
「返答+ちょっとの小話+絵描きを進める」ことは案外造作も無い。
というか読み飛ばしているコメントが1つでもある以上
またその話題に対して話を掘り下げ、さらには自分の意見や
面白い話を自ら提供できていない時点で、自身の理想には程遠いだろうと
そう考えていたようだ。
実はこの理想、自分の話題を聞きやすくするために
棒読みを入れないことは大前提なのである。
俺は到底その理想に追いつけないので、3回に1回はつけたりするが
こうしてみるとますます難題極まりない。
活字として羅列してみると、俺自身がどれだけ無理ゲーなことに
これまで理想を抱いていたのかがわかる。
むしろこんな生主存在するのか?と疑問符が浮かんできた。
ただ自分がリスナー側だと、コメントを読み飛ばされては悲しいし
リスナーのコメントだけで成り立っている放送は、放送主自身
あるいは放送の雰囲気が好きだ、という場合を除いて面白くはない。
リスナーのコメントから話題を広げて、自ら面白い話題を
提供できる人は見ていて楽しいと感じれる。
とはいえ、そもそもお絵かき主に何を求めているのかっていう原点に
立ってみるわけだが、絵が見たい+ほどよく主と喋りたいだけなら
前述したラフな対応だけで、きっと十分なのだろう。
ただどうしても、自分自身に置き換えたとき
わざわざ自分の枠へ来てくれる人に対して、30分間で
どれだけ楽しませられるか、といったことを考えてしまうあたり
俺は「絵描き」ではなく、ゲームリクエーターよろしく
エンターテイナーよりな性分なのかもしれない。
実際楽しませられているかどうかは、置いといて。
とまぁ、えらそうに生放送に対する思いを書き綴ったわけだが
なにも生主自体に、ヒエラルキーを設けようとしているわけではなく
一般人が語る、ただの一理想として捉えてもらえれば、幸いである。
まったく関係ないけど、Amazonで新しい長門さんぽちったった!
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習慣の記録
自炊○(賞味期限2習慣切れの卵入炒飯に成功
筋トレ○(久々の腹筋
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全滅回数
54回