無料ゲーム.comさんの
夢幻台さんコラムを読むと
完成の味というものが言われている。
これまで完成しない作品は、どれだけクオリティが高く見えても
別にすごくはないと身も蓋もない持論を言ってきたわけだけど
完成の味っていうものにはあまり重きをおいて考えたことはなかった。
言われてみれば完成の味を何度か味わったことがあるけど
正直、ゲームの完成に至ってはそんな記憶がない。
Flashで作ったサウンドノベルであったり
コンビニPVの方がよほど完成の味は深かったように思う。
なぜか。
それは後者が難産だったからに他ならないだろう。
ノベルに関して言えば難産ってほどではなかったけど
わりと自分に枷を付けて公開してたところがあるし
コンビニPVは素で大変だったので完成の喜びはひとしおだった。
これまで完成させてきたゲームは駆け抜けて作ってたものばかりで
難産ではなかった。
長編RPGのZetimaでさえやや作るのが面倒だなと思った記憶はあるけど
その一度だけであとは駆け抜けてたと思う。
つまり、駆け抜けられる作品は完成の味がさほどしない。
駆け抜けてる最中は楽しくてしょうがなくて
完成した後の高揚感も、その延長だからだ。
これが難産だと、さぞ感慨深いものがあったんだろうけど
『難産過ぎる』と今の忍屋みたくなってしまって
完成の味がおいしいのかどうかもまったく分からない状況になる。
なんてややこしい。
忍屋は現状、まずい → まずい → まずい・・・と作り続けてるけど
まずくあり続けてうまいものが完成するとは思えないし
きっと完成してもまずいんだろうなあ。