Dr.マシリトこと、鳥嶋さんのインタビューは
先日、週間ジョージアでも少し触れていた内容だけど
その
全貌が公開されたので、いくつか気になった文面を抜粋する。
大前提として考えておくべきことは
鳥嶋さんと一般人の私たちとでは
おそらく考えている次元が違うということ。
なので、例えば鳥嶋さんがこういってたけど
自分はこう思ってる!鳥嶋さんの意見はおかしい!
と直感的に思ったとしても、おそらくそれは
深海2万mの回答と、つぶ貝のとれる浅瀬の回答を
ぶつけているようなもの、ということ。
この手のインタビューで大切なのは
文字でしか語られてない貴重な会話の中から
いかに自分に還元できるものを読み解けるかにある。
批判をしても自己満足で終わるだけだからだ。
それなら最初から読まないほうが平和だ。
と言っておきながら、今回のインタビューに関しては
私は終始納得しっぱなしだったんだけども。
では、この記事の中で特に印象深かったものを抜粋する。
(※長いです)
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鳥嶋氏: 作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。 結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。---
はい、まさにその通りです。といった感じ。自分でも理解しすぎてて別に耳が痛くないレベル。でもほんとうにこのままでいいのかとも。このインタビューを見た時に、以前自分で言ってたことを思い出した。何かと言えば
この記事なんだけど
結局「描けるもの」って、こういうことなんじゃないかと。
何かで見たような台詞では感動せず安くなる。自分の言葉だからこそ深みがあるしリアリティもある。それが、漫画でいうところの「描けるもの」であり、作家そのものである、ということなんじゃなかろうか。
であるなら、自分が作りたいゲームと作れるゲームが違うことになるし、現状矛盾してしまっていることにも納得はいく。
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鳥嶋氏: いや、ストーリー作りに時間をかけても、意味なんかないよ。大事なのはキャラクターだね。 そうね……言ってしまえば、「人間」を描けてるかどうかの一点に尽きるんだけどね。動物だろうが、ロボットだろうが、魔物だろうが、やっぱりキャラクターである以上は、本質的には“人間”なのよ。それがしっかりと描けていれば、「これは私だ」と読者に思わせられるんだよ。---
目からうろこだった部分。
私が『新しい作品を作ろう!』としたときに、真っ先に取り組んだのが矛盾の無いストーリーを作ることだったからだ。
たしかに思い返してみれば、いくらストーリーを矛盾なく完璧に作ったところで、そこで活躍しているキャラたちの素性は明らかになっていない。ただ矛盾なくそのレールの上を歩くだけの駒になっている。そこに命は吹きこまれてないってことに気づいた。
しかし、ここには漫画とゲームの違いがあって、おそらく漫画はいつ連載終了になるかもわからないし終わりが見えていないから、いかにキャッチャーであり、面白いかが重要視される。面白ければ多少の矛盾があっても許される(そうしない作りをする人ももちろんいるけど、それはどちらかというとゲーム寄りな発想に思う)
ゲームの場合は、すでにゴールが約束された状態で発売となるので、矛盾なくストーリーを作るというのは間違っているわけではない。キャラを作りこみ、ストーリーも作りこむ。これが正しいあり方なんだろう。それをやってるっぽいのがFF15だ。FF15の記事を読んでて知ったのだけど、ある種の販売戦術ような形式で作ってるみたい。俗にいうペルソナをつくり上げるような感じ。キャラをとことん詰めていって、特定の人物に仕立てあげるような。そこまでしてキャラを好きになれるとかそういう内容だった気がする。今までの作品でそこまで掘り下げたことはあまりなかったなあと痛感した。
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鳥嶋氏: 何か創造的なものを生み出すためには、作家をクローズドな環境において、徹底的に絞っていく作業が欠かせない。その時点でネットは無理がある上に、基本的には無料でしょう。有料で値付けされていないと、受け手が真剣に身構えないんです。気軽にだらだらと受け手が見るような場所では、なかなか作家は育たないね。 そもそもインターネットのような場所は昔からあって、例えばコミケがそうでしょう。でも、あそこから本当の才能が飛び出してきた試しなんてないじゃない。結局、そういう場所では作家が「描きたいもの」ばかりが溢れてくるんですよ。---
これもおっしゃるとおりです。といった感じ。ほんとにこの人は一流のスターを生み出すことに特化した考えなんだと。たぶん、いくら雲の上のようなすごい人がいたとしても、それは更に上のトップクラスではないということなんだろう。たしかにそんな気がする。その後に語られてるけど、そこに編集者が介入してクローズドな環境においてしまえば関係ないらしいけど、結局はそういうことだ。
今はすぐにSNSで拡散されて、すぐに承認欲求を満たされる時代になったから、作家を成長させるハングリー精神がないのかもしれない。あるのは作家の欲求を一時的に満たす事象だけ。その結果うまれるのが似たような自己満足の作品ばかりでは、そりゃ成長しにくいだろう。けど人は楽な方へ、目先の楽しさへ流れてしまう生き物だから、クローズドな環境に置かれて修行するっていうのはなかなか難しいところなんだろうなあと。
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――先ほど、鳥嶋さんは「クローズドな場所」からしか創作は生まれてこないと言ってましたが、そのクローズドというのは究極的には「個人の才能」なのかな、と思ったのですが……。鳥嶋氏: そのとおり。僕は自分の経験から、創造の奇跡というのは常にクローズドになって、個人の力が発揮される瞬間に生まれると思ってる。申し訳ないけど、チームワークからそんなものが出てきたことはないね。ゲーム業界も、本当に面白いものが出てくる状況に戻りたければ、昔のように少人数で制作できる体制になる必要があるんじゃないかな。---
たぶん、チームワークからは生まれないのではなく、それは単にディレクターがしっかり自分の意見をもっておらず、更にはまとめる能力が欠けているという結果だと私は思う。だから人数が少ない時にいいゲームができていたのは、単にまとめるの総数が少ないから楽だった、ということじゃないだろうか。今の大人数でも名作は出る。出にくいのは確かだけど。それはディレクターがほんとに作りたいものを自分の中に持っていて、さらには大人数をまとめられる能力を持っていて実現できているからに他ならない。誤解を恐れずに言うと、チームワークなんてものはなくて、どんな作品だろうが、ディレクター個人の作品なのだと私は思っている。ただし当然だがディレクターひとりでは作れない。他のスタッフがディレクターを信じ付いてきてくれて、ディレクターは自分の描きたい世界を100%を出し切る。そこに他の意見が出てきてプラスになれば、チームワーク要素と言えるだろうが、そこで意思がぶれて結果マイナスになればそれは、ディレクターの手腕がなかったという判断だろう。ほんとに厳しい世界である。
以上がインタビューを読んで思ったことと、思っていたこと。
結構な刺激になったけど、あまりに天上の意見すぎて
どう自分に還元できるかが難しい。
次回作品に、活きる内容だったのは、間違いないだろうけど。
風邪が治ったので夜の散歩を再開したのだけど
そこで気づいたのは、イナナキアを人生最後の作品だ!と
決めつけてるから踏ん切りがつかないのではないかと。
まだ次もあるよ!といった軽い気持ちであれば
許せなかった部分も、自然と許せるのではないかと。
何にしても、先は長そうだなあ。