画像:イベント中のイメージ
天気:ゆきりん
配信で6000枚まで増えたコインが
そのあと滅茶苦茶すって3000になったナナブルクです。
暖かくなったかと思えばすぐ寒くなって
まだまだ油断ならない日々が続きそう。
近々実家帰ろうかなぁ、どうしようかなぁ。
#忍屋
上のスクショはパッとみ違和感ないが、実際動かしてると
立ち絵とホコグラとフキダシの位置で困るはずなので
もうちょっと改善が必要そうだが、ベースはこんな感じでいこう。
(左:驚き椿ホコグラ)
イベントでホコグラは苦になりすぎない程度に動かしたい。
頭身を高くしてしまったことがすでに手遅れ感満載だが仕方ない。
絵描き達の懇親会まで、あと17日。
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以下、創作物における正解の在処について。
聖剣伝説LOMのTAS動画を見てて、面白いコメントがあった。
「世界の広さは物理的なものではなく その世界をどう魅せるかなんだなー」そんなニュアンスのものだったが、その通りだと思う。
この世には知識としては知っていても、その時の自分のおける
環境次第で、改めてその内容を理解することがよくある。
物理的には広くなくても、その個々の街などにたしかな生活感を
感じる作りになっているだけでだいぶ印象は違うだろうし
某FFのように広い空間を綺麗に作り上げても、実際はほとんど
その世界観に触れられない作りにしてしまうと
むしろ、その狭さを露呈してしまうのだろうと。
プロとアマとの作り方にも決定的な違いがあって
前述したそれに通じるものがあると最近は思うようになった。
ここではアマとは無邪気に作ってる頃の子供時代だとするが
子供時代は、自分のなかでの「楽しい」を
そのまま形にすることを厭わず、それが自分の中の「正解」として
100%を作品にぶつけられていた。……が、これが
周囲を知れば知るほどその考えに疑問を持ちそうではないんじゃないか、正解は他にあるんじゃないかと
正解を自分ではなく、他人に求めるようになってしまう。こうなると基本的に糞ゲの一途をたどる確率が高くなる。
これは、プロに近づけようと必至にもがいてるアマに多く見られる
ものだとばかり思っていたが、
どうもそれはプロにも同じことが
言えるようで、むしろプロのほうがあれこれ考えてしまって
さらには複数人で作っているがゆえに統率が取れなくなることも多く
結果だれの中にある正解でもない……いわば、とりあえずまとまったけどこれって結果楽しいの?みたな中途半端なものが出来上がるのではないかと。
で、得てして著名なクリエーターたちは
口をそろえて同じようなことを言うのだ。
「まずは、自分が楽しめるものを作らないとね」これの裏にはプロ・アマ問わず、
誰しも昔は持っていた
純粋な自分の中での「正解」に則って素直に作ろう。という意味合いが込められていたのではないかと感じた。
RPGツクールの作品で、拙い部分も多い中、やたらと
ワクワク感じさせるものが多いのは、作者それぞれが
その時々の直感を純粋にゲームに取り入れられるからこそだと俺は考える。
かつての自分が、そうだったように。
これからの自分も、その気持を忘れないでいようと、そう思えた。