毎日ブログを書いてると
「やべえ、別に書くことねえな・・・」
ってときがたまにやってきます。
作品を作ってるとその過程の話で誤魔化せたり、どこかお出かけしたらその話題で誤魔化せたりするんですが、そうじゃない平凡な日常を送ってしまうと、書くことってないんですよね。
だからこそ、日々考えることを怠ってはいけないのだと思います。
人間に生まれたにも関わらず、思考停止になるのは何より恐ろしいことです。
そんなわけで、本日の議題。
「人は人に対して怒るべきなのか」
最近、また家の前にゴミがよく落ちてるんです。
タバコのポイ捨てはずーっとありますけど、たまにサンドイッチの袋とか唐揚げ棒の袋とか、カフェオレのカップとか、結構でかめなゴミが落ちてることがあるんですね。さすがに自分の家の前に投げ捨てられると腹が立ちますけど、本当にその事象について腹を立てていいのか?っていうのが本日のお題です。
普段気にしてないだけで、結構町のあちこちに似たようなゴミって転がってるんですよ。今回が自分の家の前だから気になってるだけで。となると、みんな似たようなことに悩まされてるのかなと思います。そして同じようにみんなも怒ってるのかなって。
じゃあそもそも人の嫌がることを平気でする人間の思考回路はどうなってるんでしょうか。言ってしまえばクズなわけです。しかしそいつは本当にクズだと呼べるんでしょうか。
自分はどうか?
バレなければいい、怒られなければいい、そんな軽い気持ちでやってきた悪行はなかったのか?
あるでしょう。少なからず、誰にだってあるはずです。
たとえば、ファストフードのお店でポテトを食べていて、ちっこい欠片が床に転がってパッと見どこいったかわからないようなとき、席を立って拾いますか?私はまあいいかって放っておくことは少なくありません。店員があとで掃除してくれるって思っちゃうからでしょうかね。
たとえば、ゴミを捨てる時、説明読んでも部位的に紙だかプラだかよくわからないと、まあいっかって捨ててませんか?箱に使われてるPP貼りとか、剥がして捨てる人は少数派に思えます。
結局は、その程度が違うだけ。自分の中での価値観に則って行動した結果なだけ・・・といえるのではないでしょうか。
育ってきた環境ひとつで価値観なんて変わるわけですよ。
上のポテトの欠片についてどう思いましたか?
「私もそういう経験あるわ~」
って思う人もいれば
「ねえわ、拾えよカス」
って思う人もいるでしょう。
それはその人が、これまで生きてきた過程で培った価値観や道徳心の生んだ結果なわけです。そう考えると、別にクズだなって思う人に対しても、怒ること自体が変なんじゃないかと思えてきました。だってその人の中では大した問題になってないんだから。
ただそいつがクズなことには違いありません。クズなんだけど、そんなクズな思考回路のもとに動く人間に育ってしまったんだなと思うだけにとどまります。
そしてまた、クズだと思っている自分も、別の価値観の人からしたらクズなわけです。
クズを見つめる時、私もまたクズに見られているわけです。
結局人は、自分が基準なのかなあって思いました。