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リアリティによるジレンマ

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リアリティによるジレンマ

プログラムを待っている間が暇すぎて、気がつけば忍屋の世界に蛾がとぶようになりました。

(クリックで再生)

こんな時代に、灯りに何も飛んでないのは不自然だものね。でも別にとんでなくても何の問題もないから10年放置されてた蛾たち。

ここで制作をやめようもんなら、この蛾たちが忍屋で最後に創造したものということになってしまう。それはまずい。数多ある創世神話でも最後に人間を産み落としたり、破壊神を産み落としたりっていうのは聞いたことあるけど、最後に蛾はさすがに聞いたことがない。

・・・と、冗談はその辺にして、実際この何気ない蛾ひとつとっても、画面に動きがあるってだけで世界に命が吹き込まれるのは間違いない。ただこれってやりすぎると、その恩恵はなくなっていく。

たとえば、ただのべた張りの町があって、そこに1つ燭台を置き炎が揺らめいていたとしよう。するとPLは自然と炎に目がいく。リアルに動いてようもんなら「お~動いとるやん」と感動してくれるだろう。なんたってそれしか動くものがないから。

だがこれが、歩くたびに砂埃が舞い、風の流れを感じる空気のフィルターがかかり、煙突からは煙が出て、雲の影も流れ、小鳥がとび、人々が動き・・・とリアルにすればするほど、PLは何も見なくなる。その光景が自然すぎて何も見ちゃくれないのだ。あるとすれば同じ作り手が「ツクールでこんな面倒臭そうなもんよおやったな」と思うかどうかくらいのもんだろう。

そんなわけで、頑張り過ぎは結果何も見てもらえなくなるので、世界観を作るという意味では効果的だが、反面何も見てもらえなくなるというジレンマが生じる。中途半端はよくない。ほどよく世界にスパイスを加えて「おっ」と思ってもらえる程度に頑張るがいいんだけど、その匙加減が難しいね。

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