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宗教の謎2

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宗教の謎2

以前、宗教の話を書いた。
あれからまたいくつのかの疑問が浮かんできたのでメモ書きしておく。

私は兼ねてより「宗教は得体が知れないから信じれないのだ」と思っていた。

しかし、上の記事で引き合いに出したガッチャマンクラウズのテーマも
言ってしまえば得体のしれないものだということに気づいた。
なのになぜ私はそれを信じて、一般的な宗教を信じることができないのか?

逆に、ちゃんと得体が知れているものの代表例として思いついたのは
科学的根拠のある「化粧品」とかだろうか。
うちの嫁さんもとある化粧品メーカーを使っていて
あれこれその良さを私に話してくれたことがある。
その真偽の程を確かめるようなことはないが、科学的根拠というのは
いつの時代に置いても絶対的な力を有している気がする。
それは人間にとって、神や仏よりもずっと身近だからだろう。
とはいえ、別にこの科学的根拠ですら、実際に自分で白衣を着て
試験管片手に調べたわけでもないのに信じてしまうあたり
前者たちと一体何が違うのかと言われれば、曖昧な気がする。

恐らく、化粧品は間違っていた場合、社会的に罰則が下るというのを
知っているから、まだ下っていないこの商品は根拠のあるものなのだと
私たちは調べずとも理解できるから信じられるのだろう。

これらの理由から「得体が知れないのに、経験則で信じてしまう」
この法則が、上記のどれにも共通して言えるのだと気づいた。

「宗教」
・得体が知れない精神論
・教えとありとあらゆる身近な事象を結びつけて信じている

「ガッチャマンクラウズ」
・得体が知れない精神論
・テーマが自分たちの社会と同じものが題材なので理解しやすい

「化粧品」
・得体が知れないが科学的根拠があるらしい
・人間は科学的根拠にめっぽう弱い

まとめるとこんな感じだろうか。

今まで、宗教は嘘くさいもの!って決めつけてたけど
結局は全部、自分が信じられるかどうかの二択でしかないという
事実がわかっただけでも大きい。

そして大事なのは、その自分が信じた道というのは
あくまで自分の経験に則って自分が信じただけであって
それを他人に強要できるかどうかはまったくの別物だということ。

そんなことも理解せずにただ押し付けてくるようなやつには
こちらも負けじと投げとリバサ昇竜の二択をしかけて
どんどんパなしてけばいいと思う。

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