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甘々と稲妻

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甘々と稲妻

今期のアニメで、見たい!って思うのが
びっくりするほどなかったので友人に聞いてみたら
『甘々と稲妻』を進められたので見てみることに。

なんだろうね。

汚れきってた心が洗われたんだけど
その後で、今までとは違う現象に陥った。

アニメみる → 心が洗われる

今までの自分ならこれで終わりだ。
いい話だな~とか、泣けた!とか。

しかし一日経って気づいたことがある。

これも置き換えれば、以前ブログにかいた
のろけとクソゲーに他ならないんじゃないかと。

このアニメの場合
哀愁ただよう夫、それでも努力を惜しまない夫を
アニメの演出によって良い感じに見せられることで
綺麗な親子愛という作品としか見れていないのではないか。

アニメやドラマといった、作品という名において
それが目的なんだからといわれればそれまでだが
これも結局は他人事にしてしまっているのでは、ということだ。

私の見解はこうだ。

この作品を見て心を洗われ、色んな心変わりをしたとしよう。

だが、自分がこの夫と同じ立場となったとき
今とまったく同じ気持ちで現実を受け止めれるか?
といったらそれとこれとは話が違ってくる。

あくまで他人事だから綺麗な部分だけを
自分の都合のいいように解釈してしまっているのだ。

もし自分が夫と同じ立場となり、人事じゃなくなったら・・・
それはもはや、客観視なんて微塵もなく
ただただ頑張るしか無い日々のはじまりである。

そこに娘の笑顔とか、感動がないわけではないだろうが
少なくとも、第三者として見ている今の自分たちとは
まったく違うベクトルの感情が待っているだろう。

結局、何が言いたいかといえば。

こういった作品を通して感じたことをすぐ鵜呑みにするのではなく
一度自分の中で昇華して、今一度考えるべきではないかということ。

作品をみて、あ~いい話だったー!
で終わる人間は、おそらくあまりに多すぎる。
この世界を見ていてもそれは想像に難くないないだろう。

ガッチャマンクラウズをみた結果
本当に自分自身で考えて行動することを学んだのであれば
日常生活で冗談でも軽々しく悪口なんて言えないはずなのだ。

しかし現実はちがう。
アニメが終われば人は忘れる。

もちろん私だって例外ではないが、それでもこうして考えることで
今一度自身を見つめなおすことはとても大切なことだと思う。

私がこの甘々と稲妻を3話まで見て学んだことは何だったろうか。

今一度、考えてみようと思う。

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